★台風15号 PV被災調査・救援活動

 2019年9月17日(火)にPV-Net台風15号PV被災調査・救援活動チームの一員として、千葉県南房総市へ行ってきました。その時の様子をジャーナル風にお伝えします。

 PV-Netとは特定NPO法人 太陽光発電所ネットワークのことで、住宅の屋根で太陽光発電をしている人たちを中心とした全国規模の会員組織で、2012年から会員になり、弊社が太陽光発電事業を始めるにあたっても大変お世話になりました。

 

 弊社オフィスがある袖ケ浦市永地は、9月11日に復電。第二発電所がある木更津市有吉は翌12日に復電しましたが、たしか9月14日ごろだと思いますが、東京電力が今回の大規模停電の復旧が、遅いところでは9月27日ごろになる見通しと発表しました。

そんなにも長期に停電するのではおおごとだということで、東日本大震災や熊本地震でも現地調査・支援の実績があるPV-Netとしてもなんらかの救援ができるはずだとの思いが、今回の活動につながりました。

 

 チームは、本部から代表理事、静岡地域から2名、千葉地域から私を含めて2名の合計5名で、車2台の構成でした。

 支援用機材は、静岡地域メンバーが製作した小型独立電源「電源坊やⅡ」と千葉地域メンバー保有の再生鉛バッテリー4個(合計2.8kWh)。
 電源坊やⅡの構成は、250Wの太陽電池、480Whの再生鉛電池、300Wのインバータ等。
 4個の再生バッテリーと合体して、合計3.4kWhの大容量バージョン「電源兄貴」を持ち込むことになりました。

 

 当日は静岡メンバーは朝5時半出発したものの、途中東名高速道路の御殿場あたりで大渋滞に巻き込まれる不測の事態があり、チームが南房総市の東部、千倉にある社会福祉協議会・災害ボランティアセンターに着いたのは、正午を回っていました。

 しかしながら、「ここでは電源支援が必要な場所は分からないので、冨浦の市役所に設置された災害対策本部へ行って欲しい」と言われ、さっき来た道をまた30分ほど戻らなければならなくなりました。そのため、このエリアにPV-Net会員で電話が不通のため安否確認ができないMさんを先に尋ねることにしました。

 

 幹線道路から山の麓に400mほど入り込んだMさん宅を探し当てましたが、あいにくお留守でしたが、息子さんがおられお話を聞くことができました。幹線道路のあたりと、途中の外灯は電気が復旧したが、自分のところは1軒だけ取り残されていてまだ停電したままだということ、太陽光発電の自立運転とエンジン式発電機で冷蔵庫なども使えていて、まだ大丈夫ということでした。特別、機材などの支援も必要ないとのことでお見舞いを申し上げて、災害対策本部へ向かうことにしました。

 

 移動中に、通り沿いに大きく破損した低圧野立発電所を見つけました。
太陽電池モジュール、レール、支柱が曲がり、局部的に大破していましたが、破損を免れたとみられるアレイのPCSは運転していました。改正FIT法で義務付けられた看板があり、保守点検事業者の連絡先が分かったので、後程確認の連絡をすることにし、市役所へ急ぎました。

どれだけ凄い暴風が吹いたのか

南房総市の災害対策本部


 災害対策本部は、南房総市市役所本館の隣、別館1に設置されていました。訪問の趣旨を伝えると、本部内の詰所に通され、本部内は多数の情報を手書きした紙が壁に貼られ、まさに戦場の指令室のようでした。そこで市民生活部の部長、担当の方と我々の支援に合致する場所を協議できました。
 その結果、南房総市の北部、大井という地区の区長さんに連絡をとり、そこで具体的な支援ニーズを聞いたうえで活動することになりました。

 大井地区は、災害対策本部に張り出された停電・復電状況を示した地図で、現在停電中であることと、当日朝、東京電力が発表した資料によると、停電が9月27日ごろまで長引く可能性がある地区に入っていました。

多忙ななかを対応していただいた市民生活部に大変感謝しています。

 

 教えていただいた目的地、大井青年館をカーナビに入力し、示されたルートを10分ほど走ると、この先通行止めという看板に遭遇。やむなく引き返し迂回ルートをたどって40分ほどでようやく大井青年館に15:20頃到着しました。

南房総市の停電マップ

災害対策本部

通行止めの看板


 青年館という名前ですが、平屋建ての公民館といったイメージです。玄関口には既に発電機が数台置かれ、エンジン音を立てて1台が稼働中でした。
 移動中に連絡していた区長の芳賀さんとはすぐに会え、自然エネルギー利用での対策を学びたかったとおっしゃり、我々の来訪を大変歓迎してくださいました。

聞けば、芳賀さんは東日本大震災を教訓に、地域が自治体の公的支援に依存せず、自立した防災対策を実施すべきと考えて、地域ぐるみの対策を考えてきたとのことです。
 それを裏付けるように、ある住民の方は「他の地区の様子を見回ってきたが、ここほどちゃんと対策できておらず混乱していた。ここは台風が過ぎてすぐに災害対策本部を置いて活動を始めたから大したもんだ」と胸を張っていました。

 電源坊やをどこに置けばいいか、芳賀さんに指示してもらい、部材を車のキャリアから降ろして、皆で組み立てを急ぎました。太陽電池パネルはキャリアに太陽が当たるように積んであったので、車内に積んであったバッテリを満充電できていました。
組み立て終わって設置完了した証拠写真が以下のものです。

電源坊やの設置完了

    高校生へ即席の自然エネルギー教室


 芳賀さんから、「ここに高校生たちがいるから、ぜひ彼らに直接、色々教えてやってほしい」と依頼されました。また、この災害が落ち着いたら、小水力や太陽電池、その他の自然エネルギーを組み合わせたさらなる災害対策を実行していきたいとも話されました。芳賀さんの知識の深さと実行力、強いリーダーシップに大変感銘を受けました。


 そんな芳賀さんの元には、数日前から千葉工業大学で地域づくりを専門にしている非常勤講師の青木さんも駆けつけていました。こういう方々と災害現場で知り合うことができたことも今回の活動の成果でした。

 

 さて、説明会をした高校生の中に木更津高専の学生もいて、積極的な質問を受けながら、電源坊や(正確には上述のとおりパワーアップした電源兄貴)から青年館の室内に電線を引き込み、うるさい音を立てて電源供給していた発電機と選手交代し、LED照明、たくさんの携帯電話の充電、扇風機の電源として活躍を始めたところであたりは次第に暗くなってきました。

 

 すると、犬の散歩に出て戻ってこられた女性が、「ここに来る途中の外灯の電気がついているようなんだけど」という情報がもたらされ、青年館のブレーカーを入れると一斉に点灯。一日の片づけ作業などを終えて、青年館に集まり始めていた住民の方々から安堵の声があがりました。なにしろ9日間もの停電生活だったわけです。

 

 こうなると、設置した電源坊やも用済みとなります。ほんの数時間の稼働でしたが、芳賀さんとお話をして、撤収作業に入りました。もと来たときのように車に積み、途中、木更津で食事を済ませ、袖ケ浦のエコロジアハウスに戻ってきたときは夜10時位でした。

明日また仕事のメンバーはそのまま帰宅し、残り4名で反省会をしました。


ざっと、以下のような話になりました。

 

  • 過去、PV-Net有志が現地入りした過去の災害、日本大震災、熊本地震とは被害の様相、状況把握、援ニーズ等に質的な違いがあったのではないか。
  • 一旦、電源坊や組み立て、設置、稼働開始できたことは良かったものの、想定より相当早い停電解消 により実稼働数時間で撤去となったのは、救援活動の出遅れと言わざるをえない。
  • 発災より現地支援開始に至る初動をスピードアップするためには、各地域組織が支援機材を有効保管し 緊急出動できる体制をあら かじめ整備しておく必要があるのではないか。
  • 上記方策は、地域交流会に強制はできず実現には高いハードルがあるため、別の方策も考えるべきではないか。
  • PVSの自立運転使用率は高いため、その電力を自分だけでなく地域住民に提供する(スマホ充電だけでも)共助の仕組みを励行 し、各地域、自治体に確立、周知を支援することで、機材持込み、管理負担を減らせ、スピードアップできるのではないか。

 

◎今回の成果

  • 大破した野立て発電所の調査をし、保守点検業者に慎重な再点検、注意喚起をすることができたこと。
  • 東日本大震災以後、主体的、自立的に地区の減災に取り組み、再エネの活用に造詣の深い芳賀区長と出会い、今後のコラボレーションの期待を持てたこと
  • 芳賀区長の元に早期に支援に入っていた千葉工大の青木非常勤講師(地域づくりが専門)との出会い
  • 停電解消により持ち込み機材の短時間しか運用できず撤収に至り、一時は徒労感を覚えたものの、それが今後の活動の在り方を深く洞察する契機となったこと

 

◎次なるアクション

  • 現時点でも停電解消していない地区はあるものの、こうした地区の探索と、機材再設置の試みは中止する。理由は、今に至っての停電解消のペースがあがり、今回の轍を再び踏む可能性が高いと判断されるため
  • 東京地域交流会経由の増援用ベランダ発電セットの提供先検討も上記と同じ理由で取りやめる
  • 反省会で考察したことをどう組み合わせ実施できるか企画すること
  • 芳賀区長、青木氏との今後のコラボレーション検討

 

というわけで、我々にとってはドラマのような長い1日になりました。

今回の活動の主な立ち寄り先